私の「仕事」は夫に内緒。専業主婦が下世話なゴシップにのめり込むワケ【大崎の女・石塚 華34歳 #1】
【大崎の女・石塚 華34歳 #1】
【何者でもない、惑う女たちー小説ー】
夫を仕事に、ふたりの息子を小学校に送り出してからが、自分の時間だ。
長時間かけて丁寧に淹れたブルーマウンテンを味わいながら、私はレースカーテンの奥に広がる都会の景色を見下ろした。
趣味の珈琲は学生時代にハマり、こだわりが高じて自宅焙煎するほど入れ込んでいる。今日も相変わらずのおいしさに心の底から酔いしれた。
大崎駅から徒歩圏内のこの部屋は大手テレビ局に勤める夫・大輔の通勤に便利というだけの理由で、5年前に購入したいわゆるタワーマンション。
中層階の部屋であるが、その高さは地に足がついているような、いないような…そんな不安定な自分の社会での立ち位置を表しているようで何気に気に入っている。
――「表向きは」優雅な専業主婦のワタシ。でも…。
華が「テレビ視聴」と「SNS検索」を見り返すわけ
ある種の背徳感に浸りながら、口の中にひろがる深い苦みをじっくり堪能していると、ピンピロリンロン…ドラム型洗濯機の終了音が聞こえてきた。
ランドリールームに駆け込み、浴室乾燥機に洗濯物を干したら、もう時刻は朝8時だ。
私はあわててNHKの朝ドラにチャンネルを合わせた。
朝ドラの後は、あさイチの「朝ドラ受け」を確認してから、ラヴィット!にチャンネルを変えて流し見する。知らないカードゲームのコーナーが始まったので再びNHKに戻した。
あさイチでは、朝ドラで人気の男性俳優がゲストで登場している。
トークの内容から、どうやら彼の役柄が近々退場する展開があることを察した。私は家事の手を止め、ノートパソコンを立ち上げた。
開いたのはYahoo!のリアルタイム検索だ。俳優の名前で検索すると、案の定「死亡フラグ!」という投稿でXは溢れかえっていた。
私は番組が終わるまで、画面横目に、Xの投稿をずっと眺めていた。
夫に秘密で続けている「仕事」とは
「ママ、今日は一歩も外出てないの?」
「うん。暑かったし、夕飯はコストコで買った鶏肉やお野菜もあるし買い物はいいかなって…」
夜11時。夫の大輔は、息子たちが眠りについた頃にようやく帰ってきた。
ポストに溜まっていた郵便物の束をテーブルの上に投げるように置き、リビングに入るなりソファに一直線。どっしりと身長180cmの巨体を沈ませた。
「それはいいんだけど、よく家でずっとじっとしていられるなと思って」
「いろいろやることあるのよ。あっという間に一日が終わっちゃう」
「そうか。俺が忙しい分、ちゃんと家を守ってくれているのは有難いけど…。まぁ、外で働きたいならいつでも相談してくれよ。反対はしないから」
柔軟で寛容な姿勢を見せながらも、ところどころに漏れる男性本位の言動は、リベラル気取りの業界人あるあるだ。
私は乾いた笑みを浮かべながら、ダイニングテーブルに彼の大好物である唐揚げとポテトサラダを並べた。
「ありがとう。でもね、出版社に勤める友達からもらったデータ入力の仕事が、けっこうなお小遣いになるの」
「そっか、ママの名前で封書が来ていたのはそれか」
その言葉に私はヒヤリとしながら、彼の置いた手紙の束を探った。言う通り、出版社から私宛の封書が届いていた。
テレビ業界の話に耳を傾ける
「いただきまーす」
準備ができたところで大輔はすぐ席に着き、夕食をモリモリ食べ始めた。深夜、しかも脂っこい食べ物にもかかわらず、疲れなのか元ラガーマンだからなのか、アラフォーに足を踏み入れても衰え知らずの食欲だ。
「今日さ、M-1王者のあの芸人がさ、うちのADを怒鳴りつけててさぁ…」
「M-1王者って、あの?」
「うん。段取り悪かったのはウチらの責任だけど、天狗になっちゃってるんだろうな」
「ふうん…」
出版社からの封書は、「仕事」の支払い明細だった。それを確認しながら、大輔の仕事の愚痴に適当な相槌を打つ。私は冷えた缶ビールを彼の手元に置いた。
「ネタになるかもしれない」という下心
バラエティ番組のディレクターをする彼は、よく現場での話を私にしてくれる。
相当ストレスが溜まっているのだろう。コンプライアンス的にどうなのかという疑問はあるが、それだけ信用されているということが密かに嬉しい。
「わかるよ」「大変だね」私は彼の言葉を引き出すように、目の前に座り、笑顔で共感とねぎらいの言葉を並べた。
激務で緊張感ある彼のストレスを少しでも解消させてあげたい…というのは建前で、単純にテレビの裏側に興味があるのだ。
何かのネタになるかもしれない、という下心もありつつ――。
下世話な「ネット記事」で小遣い稼ぎする毎日
翌朝。朝8時。
私はいつものようにテレビを見ながら家事をこなす。若手人気俳優が薬物で逮捕されたというニュースが報じられたこともあり、ワイドショーも含めてチャンネルを回遊しながら穏やかな朝を過ごした。
そして9時半、一通り見終わった後で、パソコンを立ち上げる。
<ワイドショー出演者の発言にSNS騒然!「もう収録に参加していません」>
<慶応卒新人女子アナ、薬物逮捕の俳優に「一緒に遊んだ…」と衝撃発言>
<スタッフ恫喝も…関係者が語るM-1王者の裏の顔>
企画案、と冒頭に記したテキストメール。他いくつかを、大学の同級生でwebメディアの編集長をしている友人・礼香に送ってみた。
返事は即やってくる。
『ありがとう、みんなお願いできる? 上二つは明日までにもらえると嬉しい』
了解、と返信してさっそく取り掛かった。
私は専業主婦の傍ら、ネット記事執筆の仕事をしている。
昨日出版社から来ていた封書は原稿料の明細。先月頑張って10記事を上げたことや、アクセス数トップだったボーナスも計上されていた。全部合わせて、6万円。専業主婦のお小遣いとしては十分な金額だ。
――夫からのお小遣いもあるし、全額貯金に回して、年末には…。
午前中を使ってひと記事書き終えたところで、頭の中でチャリン、と音がした。
頭の中にヴァレクストラのバッグを思い浮かべ、垂れ流しのテレビの前で私は口角を緩めるのだった。
【#2へつづく:地味な女に負けた? 夢を諦めた“こたつライター”の「プライド」が砕かれるまで】
(ミドリマチ/作家・ライター)