追悼・川地民夫さん “愛弟子”坂本一生が語る逗子の思い出
そんな川地さんの気さくな人柄から、お店はいつも混んでいて、入れなかったことも1度や2度じゃありません。商売なのにお客さんのお酒の量を多くしてあげたり、男前のサービスぶりで、本当に地域の皆さんに愛されていましたね。僕にとっては、親父みたいな存在でした。芸能界でなかなかうまくいかなかったときは、言動から振る舞い、仕事の仕方までアドバイスを下さった。思い出すと、兄も兼ねていただいたように思います。川地さんの背中で教わったのは、人生を悔いのないように生きることだと思います」
大学時代、逗子市の自宅の隣に引っ越してきた石原裕次郎にすすめられ、日活に入社。青春映画「陽のあたる坂道」(1958年)でのデビューは、裕次郎の弟役であった。その後、小林旭、沢本忠雄と「三悪トリオ」として売り出され、菅原文太と共演した「まむしの兄弟」シリーズではユーモラスな演技が人気を博した。
私生活では3度の結婚歴があり、事実婚の状態であった女優、中原早苗との挙式では仲人を裕次郎夫妻が務めたが、結婚前に破局。公私ともに豪快だった昭和のスターがまたひとり、泉下の人となった。
「天国でもあの豪快な笑顔を見せていると思いますよ」(坂本一生)
通夜は15日午後6時、葬儀・告別式は16日正午から神奈川県逗子市久木1―2―6、逗子二葉会館で営まれる。合掌。