いずれ野球界には「1番打者最強説」時代がやってくる
11月23日に横浜スタジアムで行われた、横浜OBによる「レジェンドマッチ」に参加した。
5回制の試合は、私が監督を仰せつかった「TEAM 1998」が3―2で勝利。同窓会的な雰囲気の強いエキシビションマッチながら、そこはプロの世界で飯を食ってきた勝負師の集まりである。途中から、ベンチでは誰彼ともなく「なんとしてでも勝つぞっ!」との声が上がり、走者が一塁に出たときには、選手が打席の三浦大輔に、「バント! バント!」と大声で指示を出す場面もあった。
試合後、当時を知る記者に「三浦のバントですが?」と冗談半分に質問され、「もちろん、あれは私のサインではありません。無視してました」と即答。みな、「ですよね」と笑っていた。
球界で私のバント嫌いは有名だ。ベイスターズを率いて日本一になった1998年は、年間犠打数が12球団最少の68個(最多はセが中日の129個、パが近鉄の149個)。常識や慣習にとらわれない「奔放野球」が、圧倒的な攻撃力を引き出すのに一役買ったと自負しているが、優勝争いのライバルだったヤクルトの野村克也監督には、「権藤は野球を知らない」とずいぶん“口撃”されたものである。