シマノレーシング監督はあの“日本航空123便”に乗っていた
そして、監督生活13年目の85年8月12日。大阪から上京していた辻は、グリーンピア三木(兵庫県三木市)で行う「シマノグリーンピアロードレース」開催のため、日本アマチュア自転車連盟関係者と打ち合わせを終えたその後だった。羽田空港18時発の日航123便に搭乗し、帰らぬ人となった。
生前の辻は「東京出張は新幹線がいい。本1冊読み切れるからね」と言っていたのだが……。
あの日から35回目の夏を迎えた。御巣鷹の尾根には「辻昌憲 三十九歳」と刻まれた碑がある。
ちなみに連載17回目に記した、インド洋上の飛行機事故で亡くなった小畑糺は、金沢高自転車部の1年先輩だった――。
(次回は64年東京五輪柔道80キロ超級金メダルの猪熊功)