追悼・元PL学園監督山本泰さん 連載で語った舞台裏の数々
11日午前、元PL学園監督、法大野球部監督の山本泰さんが腹部大動脈瘤破裂のため亡くなった。75歳だった。
PL学園では1978年夏に全国制覇。プロ野球近鉄のスカウト時代の1999年には、高校時代は無名だった日米通算170勝右腕の岩隈久志(ドラフト5位、現巨人)を発掘した。
その後、2004年に米マリナーズの駐日スカウトに就任。就任10年間で岩隈久志、城島健司、川崎宗則を担当した山本さんは、スカウト退任直後の2015年1月、日刊ゲンダイで米スカウト時代を振り返る連載「ニッポン野球村との奮闘4000日」(全11回)を執筆した。
山本さんが近鉄入り、マリナーズ入りの2度にわたって橋渡しをした岩隈久志(現巨人)にまつわる秘話はもちろん、花巻東高校から日本ハム入りした大谷翔平(現エンゼルス)のこと、花巻東高時代にメジャー球団と面談を行った菊池雄星(西武→マリナーズ)とのやりとり、大阪桐蔭高時代に獲得に動いた中田翔(日本ハム)との交渉の舞台裏などを明かしてくれた。
岩隈が堀越高校時代、山本さんはその素質にほれ込み、何度も学校に足を運んだ。最終的に球団の指名リストからは外れたものの、ドラフト当日、球団社長に「堀越の岩隈という右投手は化ける可能性があります」と直訴したことで、5位指名に至った。