「おはよう」言えず 青木美保は発声障害から復帰に10年
実は私、01年に無謀にも離婚したんです(笑い)。
いびつな家庭の事情があったので、治療するにあたり、少しでもストレスは排除したほうがいいんじゃないかと思って……。当時は多少の蓄えもあったし、長くても2~3年で復帰できると思っていたのです。
ところが、思うようにはいかないもので、活動休止から数年後には生活が苦しくなり、家賃の高い東京から離れました。故郷の熊本に帰ることも考えましたが、そこまでいくと、復帰するときに大変だと思って千葉へ(笑い)。家賃は3分の1になりました。
09年ごろからは近所の酒屋さんでアルバイトを始めました。その前の年、自分ではそろそろ歌えるようになったと思ってディレクターに歌を聞いてもらったのに、彼の表情は限りなく曇り、「ああ、まだだめなんだ」と思ったからです。
食べるために酒屋さんでアルバイトを始めてから1年が経過するころには、「もう歌わなくても生きていけるわ」と考えるようになりました。お店には青木美保を知ってくれている人もチラチラ現れて、2つあるレジの私のほうだけに列ができるということもありました。