トレーナーの鳥谷剣さん ネフローゼ症候群で高2の春に入院し甲子園でプレーする仲間を病室のテレビで…

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鳥谷剣さん(トレーナー/35歳)=ネフローゼ症候群

 はじまりは突然で、前触れは何もありませんでした。当時、高校2年で野球部の練習が厳しかったため、感じていなかっただけかもしれません。 その朝、両親に「顔がむくんでるね」と言われたのですが、気にせずいつものようにグラウンドに行くと、むくみが病的になっていたようで、コーチの車で病院に連れて行かれました。その頃には顔がパンパンで、目が満足に開かない状態でしたし、体のだるさも自覚できました。

 血液検査と尿検査の結果、即入院。病名は「ネフローゼ症候群」と告げられました。治療は、塩分上限7グラムの食事制限と、「プレドニゾロン」というステロイド系の経口薬の服用でした。この薬を飲まなくてもいいようになるまで7~8年かかり、その間、10回近く入退院を繰り返しました。

 この病気は血液中にあるタンパク質のアルブミンが過剰に尿中に漏れ出し、血中のアルブミン濃度が下がることで低タンパク血症になり、全身がむくむ腎臓の病気です。

 プレドニゾロンは体重×1ミリグラムの服用からスタートする薬で、状態を見ながら徐々に減薬していきます。自分は体重60キロだったので60ミリグラム。1錠5ミリグラムの薬を1日12錠飲むところからスタートしました。飲み始めて1~2日はさらにむくんで、体重は80キロまで激増。でも3~4日目から突然大量に尿が出始めて1日5~6リットル排出し、みるみる体重が減少していきました。

 結局、入院1週間でむくみもだるさも取れ、体感的には普通になりました。ただ、顔が丸くなるムーンフェース、脱毛、増毛、ニキビ、骨の脆弱化、免疫力の減少などの副作用はしばらく続き、腎臓に負担をかけないようにひたすら安静を求められました。退院できたのは1~2カ月後です。

 ただ、ここからプレドニゾロンとの長い闘いが始まります。退院して1カ月間は1日12錠の服用を続け、経過が良ければ翌月は1日11錠、それも大丈夫だったらその翌月は10錠と、1カ月に1錠ずつ減らしていき、0錠になったら腎臓が正常になったといえるのです。

 でも、それが簡単ではなく、途中で症状が出てしまったら振り出しに戻って12錠からやり直し。おかげさまで何度も行ったり来たりしました。しかも5錠から先は先生が慎重で、1カ月に2分の1錠しか減らさないからもどかしくて……。

草野球が上手くなりたいとジムに通った

 症状が出てしまう原因の多くは、どうしても野球や運動がしたくてガマンできないことにありました。「このくらいは大丈夫かな」と探り探りやっているうちに、腎臓に負担がかかり、あるとき急に病気のスイッチが入ってしまうのです。1度スイッチが入ると入院です。春や秋の過ごしやすい時季と真夏では歩くだけでも体力の奪われ方が違う。その辺も計算にいれないとすぐオーバーしてしまいます。0錠になるまで7~8年かかったのはそういう経緯です。

 一番つらかったのは、高校2年の夏でした。自分がレギュラーで出場した春の大会でベスト4になり、夏の甲子園に期待が高まっていた直後の入院だったのです。その後、チームは甲子園出場まで勝ち進み、自分も退院したので、大会前に行う甲子園での練習に参加させてもらいました。しかし、再発して地元に帰ってきて、仲間の試合を病室で見たのがなんともつらい時間でした。

 社会人になった頃、薬が0錠になって恐る恐る運動を始め、症状が出ないことを確かめてから地域の草野球チームに入り練習を始めました。でも8年のブランクはあまりに長く、体が動かなくて我ながらびっくり。それで、29歳の時に「もっと草野球がうまくなりたい」と思ってジムに通い始めたのです。

 すると、2年ぐらいで周囲から「いい体になったから大会に出てみれば?」と言われ、2018年8月に「メンズフィジーク」(海が似合う男コンテスト)東京選手権に出場しました。そこで2位を獲得したのがきっかけでだんだんハマっていき、今の仕事につながりました。草野球もずっと続けていて、10代の自分よりいい動きができるようになりました。

 薬を飲んでいる間、思ったように運動できないことが本当につらかったので、今は野球も仕事もやりたいことが長く続けられるような生活を意識しています。

 たとえば、他人から見ればストイックで引かれそうですけど、運転中の車内の温度は1年を通して一定にするとか、朝食は365日同じ(ブリ、全卵2個、ウインナー1本、玄米と白米を5:5で炊いたごはん)にしたり。ほかにも挙げればいっぱい決め事があります。でも、自分ではそれが普通なので神経質だとは思っていません。たまにラーメンを食べたりもしますから緩い方です(笑)。

 思えば、病気をして性格が丸くなりました。高校球児だった頃は怖いもの知らずで“オラオラ”でしたから(笑)。でも最近は「体調が悪くなりそう」という小さな変化に気づけるようになりました。

(聞き手=松永詠美子)

▽鳥谷剣(とりたに・つるぎ)1987年、東京都生まれ。甲子園を目指す高校球児だったが、病気を発症。8年間の闘病の末に完治し、サラリーマンを経てボディービルの世界へ。2021年7月、町田市にパーソナルジム「BE.TRIGGER」をオープンし、トレーナーとして活動している。元プロ野球選手の鳥谷敬を兄に持つ。

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