仲間と合同が主流の今でも 孤独な自主トレには効用がある
最近の選手は、我々の頃とは比べ物にならないほど、トレーニングに関する知識があるし、合理的な練習をやっている。球団の垣根を越えて選手が集まり、複数でやっているのだって、キャッチボールやノック、その他のさまざまなメニューをこなすことを考えれば、効率がいい。
ただし、早朝のゴルフ場を黙々と走るという前近代的な自主トレにも意味はあった。ひとりだから、自らに課したノルマをこなすのもサボるのも自分次第。己の弱さと向き合えた。仲間と一緒に楽しくやっても、試合が始まれば、誰かに助けてもらえる場面はそう多くない。基本的には、マウンドでも、打席でも、孤独である。弱さ、孤独と向き合う時間が、ひとりの自主トレで得られた。これは、今のような自主トレではなかなかできないことだろう。
当時の選手はだいたい同じようなものだった。ミスタープロ野球の長嶋茂雄さんも、伊豆の大仁での山籠もりを恒例にしていた。トレーニングの知識も理論も今ほど洗練されていなかった時代、昔の選手はみな、「最後は個人と個人の戦い」ということが感覚で分かっていたのだと思う。