「どうして道端でしなかったんですかね。ぼくら、その1秒が欲しくて1年間、必死に練習してるんじゃないですか」
宗茂はびわ湖毎日マラソンで走ったフランク・ショーターを思い出していたのだろう。腹痛を起こしたショーターは、コースわきで用を済ませ、写真を撮った見物人のフィルムを抜き取って優勝した。東京だろうと「そこでやれ」……それが昭和のプロのマラソンだった。中山竹通は実業団の監督時代にこう言ったものだ。
「聞きに来ない選手には教えませんよ。意味がないから」
マラソンは自分で問題を見つけ答えを探すのだ。曖昧なMGCであろうとも、それを叩き台に令和のドラマをつくり出す、そんな選手が出てきて欲しい。