しかし、パリ五輪では一転、大会前に計画していたナショナルトレーニングセンターでの代表合宿が予算不足で実施できず中止に。協会の申請ミスによる不手際も相次いだことで、愛想を尽かされたのかもしれない。
朴HCは母国の韓国やかつてコーチを務めたマレーシアからオファーを受けたこともある。
大きな存在を失った日本バドミントン界。またぞろ、弱小時代に戻りそうな雲行きである。
◇ ◇ ◇
それにしても、日本のお家芸だったはずのバドミントンはなぜパリ五輪で惨敗だったのか。協会の失墜を招いた「大事件」とはいったいなにか。
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