髙嶋弘之さんが語る糖尿病との26年 きっかけは胆のう結石
髙嶋弘之さん(髙嶋音楽事務所代表・86歳)=胆のう結石・糖尿病
「糖尿病」とわかったのは1994年、60歳になる年です。なんでわかったのかというと、「胆のう結石」をやったからなんです。
僕は夏山に登るのが趣味で、年に1回、槍ケ岳や奥穂高岳、白馬岳なんかに登っていて、そのときは五色ケ原へ行ったんです。そしたら夜中、山荘でえも言われぬ上半身の痛みで目が覚めた。9キロのリュックを背負って登ったから筋肉痛かと思って、肩や首に痛み止めを塗りました。すると、2時ごろに痛みがスッと消えたんです。
それで、翌朝はへっちゃらで帰ってきて、その後、しばらくして“食べ放題”に行って帰ってきたら、また同じような痛みに襲われたんですよ。
それで病院へ行くと、緊急入院になって3週間、いろいろな検査をしました。でも、結局は「単なる胃炎です」と言われました。で、そのときに糖尿病だと指摘されたんです。
ただ、当時は糖尿病の怖さを知らないから、それよりもまず痛みの方が気になりました。
友人が「そりゃ、がんとは言えんだろう」と脅かすもんだから、また別の病院で診てもらったら、「胆石」との診断でした。それで、60歳の誕生日の5日前に、胆のうを摘出する腹腔鏡下手術を受けました。
病室は1人部屋より4人部屋のほうが気が紛れていいと思って、4人部屋にしてもらいました。ところが、しばらくしたら、同室の他の人たちが別の部屋に移っちゃった。どうも、僕があんまりしゃべり過ぎたみたいなんだな(笑い)。
手術の前には不安になる人もいるので、看護師さんが精神的なケアのために、いろいろ話をしにきてくれました。でも、僕はお医者さんに全幅の信頼を置いていたから、「もし何かあっても寿命だなと思うので、心配いりません」と伝えました。
その代わりビートルズの話になって、夢中になってしゃべったんです。するとあくる日、手術室に入ったらビートルズが流れていて「気が利いてるな」と思ったら、麻酔が効いて眠りに就く直前に「ハロー・グッドバイ」のイントロが聞こえた。さすがにマズイんじゃないか、と不安になりましたよ(笑い)。
胆石は11個も出てきて、大きいのは1センチ四方ありました。手術がうまくいったおかげで、それ以来、体調はすこぶるいいですよ。ただ、糖尿病の薬を毎日飲んで、生活はお医者さんに言われた通りにして気をつけています。
■今日もお昼にトンカツを150グラムを
具体的には食事と運動ですね。僕は肉が好き。果物とかおまんじゅうとか、甘いものも大好き。10年前、76歳でシドニーに行ったとき、520グラムのTボーンステーキを食べて、その後、ボリュームたっぷりの甘~いデザートまでペロリと平らげたら、みんなにビックリされました(笑い)。
今日もお昼にトンカツを150グラム食べました。その代わり、ゴハンは食べない。以前は、お茶碗3杯は食べていましたが、今は食べてもお茶碗半分とかパン一切れです。
やっぱり、糖尿病になった原因はよく食べたからでしょうね。僕は大学を出て最初に東京芝浦電気レコード事業部に入ったんだけど、社内では「よく食べる」と評判になってたぐらいですから。
当時、会社は有楽町にあって、ニュートーキョーだとか新橋の第一ホテル東京でバイキングをやっていたから、よく同僚と行っていました。僕らが行くと、店の人にイヤ~な顔をされましたっけ(笑い)。一度、山盛りで9皿食べたことがありました。さすがにそのときは、もし後ろから背中をポンと叩かれたら、口から食べたものが飛び出しそうでした(笑い)。昔から食欲は落ちたことがないですね。
幸い、お酒はあまり好きじゃないので、まったく飲まなくてもつらくない。酒席は多いので、今も必要なときはコーラを飲みながら徹夜でしゃべっていますよ(笑い)。
若い頃はそんなに食べたり飲んだりしていても、あまり太りませんでした。身長170センチで、一番重かったときで79キロでしたから。よく働いて動き回っていたからでしょうね。
糖尿病と指摘されてからは、毎日走るように歩いて、食事も減らして69キロまで落としました。でも、お医者さんに「そこまでしなくていい」と言われ、今は72キロ。3年前に家内が亡くなって長女と2人暮らしなんですけど、自分で料理もしますよ。油を使い過ぎないよう気をつけています。
新型コロナウイルスで外出自粛だったから、しばらく仕事はできませんでしたが、ウオーキングは大好きなので毎日歩いています。毎日5000歩以上、8000歩くらい歩いている日も多いですね。杖をつきながらゆっくりペースですけど、食後がいいというので、毎朝食後に必ず歩いています。
40日おきに受診して、血液検査をやって飲み薬をもらっています。血糖値は食後で130㎎/デシリットル台で、HbA1cは7・3%。血圧も最近は130~150㎜/Hg台とちょっと高めだけど、お医者さんにはむしろ「低血糖に気をつけるように」と言われています。
糖尿病の人がコロナに感染したら危ないというから、ウオーキング以外はずっと家にいました。今も人混みに出かけていくときはマスクをしていますけど、風邪をひく気配もないです!
(聞き手=中野裕子)
▽たかしま・ひろゆき 1934年、神戸市生まれ。兄は俳優の高嶋忠夫(故人)、次女はバイオリニストの高嶋ちさ子。早稲田大学卒業後、「東京芝浦電気レコード事業部」(元・東芝EMI)に入社。ビートルズなどの洋楽ディレクターとして活躍し、91年に「高嶋音楽事務所」(株式会社エイティーン)を設立した。所属する双子のソプラノデュオ・山田姉妹がアルバム「私のお父さん」を発売中。