こころMOJIアーティストの浦上秀樹さん 難病「遠位型ミオパチー」との闘いを語る
姉を見ていれば、だいたいこの先どうなるかわかるので、動けなくなる前にやりたいことはやろうと思いました。「まずは普通に働きたい」と思ったので、リハビリセンターの職業訓練所に1年間寝泊まりして建築を学んで、CAD(設計ソフト)を習得しました。普通に就職活動をして、車いすの状態で働き始めたのが23歳です。
その頃はまだ伝い歩きができ、腕に筋肉があったので車いすを操作することもできました。特別な装置を付けての車の運転も28、29歳ぐらいまではしていました。
その後、在宅で図面を引くようになって、パソコンを口にくわえた棒で操作できるよう早めに練習を始めました。30歳を越えると手も動かせなくなり、今は首から上しか動かせません。
今の仕事を始めるきっかけになったのは、37歳で出合った杉浦誠司さんの作品集です。ひらがなで構成された漢字が面白くて、口に筆をくわえて書き始めました。これが思いのほか楽しかったので、だんだん文字を考えることにのめり込んでいき、41歳から文字一本に絞って生活を始めました。27歳のときに結婚もしたので、安定したCADの仕事を辞めるのは勇気がいりました。でも、今は正解だったと思っています。