いまも思い出す父のありがたい親心 勝新太郎さんの父親も…
そう言われました。私は2週間くらい手伝うつもりでしたが、情けないことに草取りですら、暑さにやられて5日間でダウンしてしまいました。
後で知ったのですが、父は現場の方に「息子はあんなことを言っているが、手加減してやって欲しい」と伝えてくれていたようでした。私にはまったく無謀な、無理な作業で、今でも恥じ入るばかりで忘れられません。
しかし、「親心」とはそんなことかもしれないと思いました。
父は、定年退職後、田舎の実家で母と2人で暮らしていました。毎年、秋には庭の渋柿を採り、段ボール箱に100個ほどしっかりと詰め込んで焼酎を振りかけ、「30日後まで開けないように」との指示と一緒に東京で暮らす私の元に送ってくれました。日にちを間違えて早く取り出すと渋かったり、遅くなると柿がグチャグチャになったりします。
■入院先に父が描いた掛け軸があった
ある時、父は登った柿の木から落ちて腰を打ち、鎮痛剤を何日も飲んでいました。ところが、その薬が関係したかどうか、吐血して近くのN医院に入院することになってしまったのです。