即死レベルから11年 小西博之さんががんを受け入れるまで
でも、僕は「がんに勝とう」なんてこれっぽっちも思っていませんでした。他人はよく「がんと闘う」と言いますが、その言葉は嫌いです。これは高校時代の野球部の監督の言葉なんですけど、「勝ちたいと思うな。勝った後、帰ってきてみんなで大喜びしている姿を想像しろ」とよく言われました。目標は楽しいことにした方がいい。だから、病気をした僕は目標を「『徹子の部屋』に出ること」にしたんです(笑い)。
元気になって「徹子の部屋」に出演して、徹子さんに傷口を見せながら「でも、全然大丈夫」と、お話しする……という夢を描きました。どんな話をしてどこで笑いを取るか……そんなことまで想像しました。
退院は術後9日目でした。スピード退院ですよね。そして、その5カ月後には本当に「徹子の部屋」に出させていただき、思い通りになりました。
あれから11年が経ちますが、僕はまだ元気です。「奇跡だ」と医師からは言われていて、「腎臓がん研究会」に呼ばれたりもします。これも後から聞いた話ですけど、5年生存率はほぼ無いに等しい状態だったそうです。