兼元謙任さんが振り返る ギラン・バレー症候群の壮絶治療
中学の3年間はほぼ病院で過ごしました。治療はとんでもなく過酷でした。あまりにつらかったので、ボクは「新薬を試すモルモットにされた」と思い込み、ずっと担当の女性医師を恨んでいました。本当につい最近までそうでした(笑い)。
でも直近の仕事で医師の方々と携わることになり、当時の経験を話したら「恨むなんてとんでもない。むしろ当時それができたのはすごい勇気。感謝した方がいい」と言われました。
病気の始まりは小学5年生のときからのイジメだと思います。自分が韓国籍(現在は日本籍)だと両親から聞かされたのもその頃なのですが、その事実がどういうわけかクラスに広まってしまい、壮絶なイジメを受けました。
それが精神的な病の始まりで、対人恐怖症になりました。“動いたら殺される”と思ってしまうのです。
バスにも乗れなくなりました。その頃、考えていたことの大半は両親や差別意識に対する怒りです。祖父母が韓国から日本に来て、両親も国籍のことでは苦労したはずなのに「何でボクを産んだんだ!」と……。