人形町今半 髙岡慎一郎社長(2)15歳で「骨肉腫」との診断、片足の切断を宣告される
髙岡を劇的に変えたのは、高等部1年の時だ。右足を切断しなければならない「骨肉腫」と診断されたからだ。柔道部に所属し、稽古をしていた時、右足をケガした。痛みや腫れがあったので町医者に診てもらった。町医者は治療が難しいと判断し、大学病院を紹介してくれた。その大学病院の見立ても「骨肉腫」だった。父の知人の紹介で別の大学病院の権威ある教授にも診てもらった。その教授は、教授室でレントゲン写真を見て、即座に「これは骨肉腫だ。片足を切るより仕方ない」と、まだ15歳の髙岡少年に告げた。
「足を切らなければ死ぬと言われ、目の前は真っ暗になりました。苦しかったけれど生死と真剣に向き合いました。毎日、鏡に向かって自問自答しました。テレビで片足のない選手がスキーをやるのを見て、片足でもスキーができる──カッコいいなと思っていました」
しかし、まだ15歳の少年にとって足を切断することは、受け入れがたいことであった。
父も必死だった。最後に髙岡は、父に連れられて新宿区にある国立医療センターを訪ねた。
「主治医は『骨肉腫の組織をとって良性か悪性か検査しましょう。もし、良性であれば表面の骨を削るだけですむでしょう。表面を削るだけですまなければ、腰骨から骨を削って移植しましょう』と言ってくれた。診断に納得できたので、入院して手術してもらうことに決めました。骨肉腫だと診断されたところの組織をとってもらうと、悪性ではなく良性でした。骨を少し削るだけですみました」
髙岡は、足を切断する恐怖から解放された。ただし、高校の出席日数が足りず、玉川学園高等部の1年生を2回経験することになった。 =つづく
(ジャーナリスト・中村芳平)