「まだ生きなきゃ」いまも乳がんと闘う大月絢美さんの覚悟
残念ながら私の抗がん剤治療中に母は他界してしまったのですが、せめてもの救いは、亡くなる前に入籍を母に報告できたこと。身内の死と治療を乗り越えるのに大きな助けになったのが主人の存在です。抗がん剤治療と手術の間に2週間ほど時間があったので、その間に2人で新婚旅行を兼ねた海外旅行をしたりして……(笑い)。なにより「普通」に接してくれることがありがたかった。無理に明るくするでもなく、淡々と日常を過ごせたことがとても貴重でした。
■ライブの途中で雷に打たれたような違和感を覚えた
母の死から、精神的に歌うことができなかった私に、歌う場所を提供してくれたのも主人でした。彼の実家が喫茶店で、「あそこでライブやってみたら?」と。それから2年間、月1回ライブをやらせてもらい、順調に回復していると思っていた矢先、この3月に「再発」がわかったのです。
ライブの途中で右の首筋から胸にかけてビリビリと雷に打たれたような違和感を覚えました。加えて、ちょうど乳がんができていた辺りにポチッと何かができていたので、検査をしてもらうと肺と腎臓と右鎖骨上リンパに「転移」が見つかりました。ショックでした。でも、心のどこかで「いずれ再発はあるだろう」と思っていたので割と冷静でした。