元広島水沼四郎さんは居酒屋店主 ”江夏の21球”を解説も
■「野球もリハビリも、死ぬ気になって真剣にやったら勝ち」
ところで、水沼さんが飲食業を始めたのは99年、53歳の時。広島市から東へ35キロほどの東広島市でお好み焼き屋「しろう」を開店した。
「味とボリュームが評判で、繁盛してたけん。ところが、07年5月、閉店後の後片付け中、脳梗塞に見舞われたんじゃ。医者からは元の体に戻るんは不可能と宣告され、3カ月半入院。退院時も歩けんと、車椅子じゃった」
それでも、半年余の懸命のリハビリのかいあって、歩けるまでに回復。しかし、08年、再び脳梗塞を発症し、右半身に麻痺が残った。
「麻痺したままじゃ、働けん。またまた必死でリハビリに取り組んだけん。走るのは無理じゃが、クルマの運転はできるようなった」
加衣さんひとりで切り盛りしていた「しろう」は12年5月に閉じ、半年後に現在のビルにリニューアルオープンした次第だ。
「2回も脳梗塞やって復帰しとるけん、最近は健康に関する講演会の依頼もボツボツあるんよ。野球もリハビリも、死ぬ気になって真剣にやったら勝ちじゃな、ハハハ」
広島市内に夫人と2人暮らしだ。