若者は人間の「生と死」を考えることに飢えているのではないか
先日、ある大学の医学部で講義を担当しました。いつもは学生と話し合える楽しみな90分なのですが、今回はコロナ流行のためウェブ講義となりました。残念ながら学生の反応が分からないままに、私の方で一方的に話していく形でした。
講義の題名は、医療現場の実際から医療倫理について学ぶとして、「がん診療における患者の生と死」というものです。冒頭で「この時間は、教わるとか教えるということではなく、命を、そして死を一緒に考える時間にしたいと思います」とお話しして講義を始めました。
以前は、講義が終わってからいろいろな質問を受けたり、数人の学生に囲まれての議論があったり、一昨年はその後も個人的に手紙やメールをもらったりしました。今年はそうもいきませんでしたが、それでも10日後には受講生全員から講義の感想文が送られてきました。
私の講義の主な内容は実際の臨床でのエピソードがもとになっています。
ある患者は、大学准教授だった頃にたくさんのがん患者のみとりの経験をし、開業後は地区の「死の準備教育」の講師を務めた医師でした。そのため、いざとなっても死を十分受け入れられる、自分の死においては「穏やかな死」で、恐怖を感じることなど絶対にないと確信していました。